2012年10月16日
レディ・グレイとクイーン・マリー
2002 ヨーロッパへ行ってみた その13
“Nine Days' Queen” ジェーンは、自ら王位を欲したわけではありません。しかし彼女と彼女の年若い夫は、親や周囲にうごめく人々の権力欲に翻弄され、ついにはメアリー1世によって命を奪われることになりました。
レディ・ジェーン・グレイが監禁された部屋、断首された処刑場の跡を見たとき、“人生”とか、“生まれてきた意味”とかが、頭をかすめました。16歳の若さで従容として死を受け入れ、取り乱すことなく首を差し出したと伝えられるレディ・グレイの胸中はいかばかりだったでしょうか。
ドラローシュ『レディー・ジェーン・グレイの処刑』 (public domain)
ロンドン塔の血塗られた歴史は、落城の際に大勢の死傷者が出たというような戦闘行為によって作られたのではありません。いわゆる職業軍人間の戦闘による流血も悲惨なことなのはもちろんですが、それ以上に醜悪な事柄-捕虜の虐待(対スコットランド戦争、百年戦争)、王位継承争い(薔薇戦争など)の関係者さらには単に権力者(ヘンリー8世など)による気に入らない人物の粛清といった具合に、多くがどす黒く渦巻く権力欲や権力の乱用によって刻まれてきたのです。
「人間が人間を支配して害をもたらした」という言葉を痛感しました。この種の事柄は決して過去の歴史ではなく、場所を変えながら現代に至るまで連綿と続いています。このようなことがなくなる時が来ることを切望します。
このメアリー1世は、後にプロテスタントというだけで罪のない、女性や子供を含む300人にのぼる人々を殺害したため、『ブラッディ・メアリー』すなわち『血まみれメアリー』と呼ばれるようになりました。それがあのカクテルの名称の由来ともなっているのは知る人ぞ知るところです。
ちなみに トワイニング の人気ブレンド『 レディ・グレイ 』と、今はなき水色缶『 クイーン・マリー(メアリー)』は、ここで採り上げたふたりとは関係がないので、念のため。
2002 ヨーロッパへ行ってみた-その14
2002 ヨーロッパへ行ってみた-その1
“Nine Days' Queen” ジェーンは、自ら王位を欲したわけではありません。しかし彼女と彼女の年若い夫は、親や周囲にうごめく人々の権力欲に翻弄され、ついにはメアリー1世によって命を奪われることになりました。
レディ・ジェーン・グレイが監禁された部屋、断首された処刑場の跡を見たとき、“人生”とか、“生まれてきた意味”とかが、頭をかすめました。16歳の若さで従容として死を受け入れ、取り乱すことなく首を差し出したと伝えられるレディ・グレイの胸中はいかばかりだったでしょうか。
ドラローシュ『レディー・ジェーン・グレイの処刑』 (public domain)
ロンドン塔の血塗られた歴史は、落城の際に大勢の死傷者が出たというような戦闘行為によって作られたのではありません。いわゆる職業軍人間の戦闘による流血も悲惨なことなのはもちろんですが、それ以上に醜悪な事柄-捕虜の虐待(対スコットランド戦争、百年戦争)、王位継承争い(薔薇戦争など)の関係者さらには単に権力者(ヘンリー8世など)による気に入らない人物の粛清といった具合に、多くがどす黒く渦巻く権力欲や権力の乱用によって刻まれてきたのです。
「人間が人間を支配して害をもたらした」という言葉を痛感しました。この種の事柄は決して過去の歴史ではなく、場所を変えながら現代に至るまで連綿と続いています。このようなことがなくなる時が来ることを切望します。
このメアリー1世は、後にプロテスタントというだけで罪のない、女性や子供を含む300人にのぼる人々を殺害したため、『ブラッディ・メアリー』すなわち『血まみれメアリー』と呼ばれるようになりました。それがあのカクテルの名称の由来ともなっているのは知る人ぞ知るところです。
ちなみに トワイニング の人気ブレンド『 レディ・グレイ 』と、今はなき水色缶『 クイーン・マリー(メアリー)』は、ここで採り上げたふたりとは関係がないので、念のため。
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2002 ヨーロッパへ行ってみた-その14
2002 ヨーロッパへ行ってみた-その1
Posted by ぎんばいか at 21:55
│旅のこと